ちゃちゃののほほんらいふ

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人生設計

 

「人生を逆算すること」について、ある程度の必要性は感じるけれど、それに囚われすぎることを考えると恐ろしくなる。

 

例えば、「◯歳までに子ども産みたいから、◯歳までに結婚して、それなら同棲はこのくらいの時期、付き合うのはこの年齢のとき……」みたいなもののこと。

 

ある程度の計画とかイメージみたいなものは大切だし、いろいろな制約や限界があるのも事実。その通りに動いていける、要領の良い器用な人もいるんだと思う。でも、どうやら私はこれをやりすぎると苦しくなってしまうらしい。

 

なんだか、失敗することや、他人のしないことをすることが恐れられすぎている気がする。だから、みんな生きることに慎重になってしまう。それに、上のイメージには相手の意思は全く組まれてないわけだからね。

 

自分は、失敗してもどれだけリカバリーできるかの方が大切だと思うタイプ。上手に生きれる人って、そうなれなくてもいいけど羨ましくもある。

 

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5月31日(火)の『相談は踊る』がまたもや神回だった。20代の「薄っぺらい人間恐怖症」について。(ラジオクラウドで聴けるよ!)

 

nhsw9.app.goo.gl

 

ジェーン・スーさんが「20代ですべきことは、どれだけ失敗しても、人生は終わらないし自分は死なないと分かること」だと言ってくれた。救われた。

 

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結局は、目の前のことを一つひとつやってきた、今の自分を愛でるしかできないのだと。今を慈しむこと。

 

そして、設計できない未来を暗示すぎないのと同じように、必要以上に過去を振り返ることもしなくていいのだなと。

 

苦手な人のSNSとか、過去に辛い思いをした場所のホームページとか。見たくないはずなのにわざわざ見に行っちゃう、なんてことはきっと誰にでもある。

 

もちろん人に迷惑をかけたのならそれは反省したり、自分を戒めなくてはいけない。けれど、それは過去のことだし、自分が削られてまで無理に振り返る必要もないんだなーって。

 

 

あなたはわたしなんだね

 

青井葦人がサッカーをするとき、彼の中には母ちゃんと瞬兄の存在がある。

 

「アオアシ」、アニメはまだ5話で、たまらなく面白くて漫画無料のところまで読んでしまった……。途中までしか読んでいないから、私の推測でもあるが。)

 

葦人がサッカーが大好きだということもあるが、彼は自分がサッカーをする理由の根本が母ちゃんと瞬兄であることを、すでに分かっているように思う。

 

何かを続けようとする人にはそういう存在がいるのだと思う。「もう辞めようか」と思った時、立ち止まらせてくれたり、前を向かせてくれるような人のことだ。

 

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「愛することとは、その人と一緒になりたいと思うことだ」というのであれば、人生100年時代の四分の一の時間を生きてきた私にとって、思い浮かぶのはただ一人だけである。

 

彼を見ながら私は「どうしてこの人と、別の人間なのだろう……」と思ってしまう。どうしても、彼が自分と違うとは思えない。

 

彼は若くして小さい頃からの夢を叶え、今は仕事として取り組んでいる。

 

私はバレエを仕事という、責任のついてまわるものにはしなかった(できなかった、とも言えるが)。それが自分なりの関わり方だから後悔などはない。むしろ、責任を背負っていたらどこかでバレエを辞めていたかもしれない。

 

「仕事」ならではの大変さはもちろんあるだろう。私にはそれを完全に理解することはできない。

 

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でも、小さい頃からただ一つのものを愛してきた、同志として。

 

自分なりの関わり方でそれに取り組んで、どうにかこうにか、今の今までそれを手放さないでいる。好きだけじゃ上手くいかないこともあるけれど、大人になっても、恥ずかしげもなくそれを「大好きだ」と言える瞬間もあるのだ。

 

そういった何かを、彼とは共有できている気がしている。幼い頃の彼から、知っていられて良かった。

 

心の支えになる恋人でも、最終防波堤のような家族でもない。ただの他人だ。本人は何にも考えてない(なさそうに見える)から、直接なんて言えたもんじゃない。

 

でも、あぁ、あなたはわたしなんだねーーと思えるのだ。向こうがどう思っているかなんて、知らないけれど。

 

彼がいるなら、いるから。私だってまだ踊っていていいんじゃないのかなーと思わせてくれるのだから。

 

 

<今日もプリエから 19>でした。

▼前回の「今日もプリエから」

20年以上続けてきたバレエのお稽古について、日記を綴ることにしました(エッセイスト・森下典子さんの『好日日記』に憧れて)。バレエについて書くことは、人生について書くこと。

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嵐が通り過ぎるまで

 

よく覚えている。ちょうど一年前のことだ。

 

note.com

 

よしもとばななさんは相変わらず好きなのだけれど、ここで書かれている“坂元裕二さんの朗読劇”は、実は私も観に行ったのです。風間俊介さんと松岡茉優さんの「カラシニコフ不倫海峡」。

 

映画『花束みたいな恋をした』以来、坂元さんの作品に触れたくて。本になっているものがすごく良かったし、観るなら「不倫」がいいなーとも思っていまして。

 

キャストは松岡茉優さんが好きで、でも「この世は欲張っちゃいけないな〜」とも思っていた時期だったので、1公演だけ申し込むというまた綱渡りのような行為。

 

 

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そしたら、当たってしまったんですよね。なぜか。普通だったら絶対当たらないのに。(あ、やっぱり当たった、と思った自分もいましたが)

 

しかもめちゃくちゃいい席で…。前ブロックのど真ん中の席。キャストのファンの方だったらできるだけ前の方がいいのかもだけど、劇を楽しみたい私には、二人がちょうどよく見えるあそこがベストだったと思う。

 

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今このタイミングで、ばななさんがあの劇のことを書いてくださった。それで私もやっと、あの1年前のことを振り返れるようになってきたのだなと分かってきました。

 

そこで私は自分が動けないぶん、しみじみと、それぞれが才能を活かして生きていくことだけがこの世の花だな、と思ったのです。よけいなことはなにも考えなくていいんだ、と。

(noteの無料部分より引用)

 

私も、あの時はまっっっっっっったく動けない時期だった。何をするのも辛くて(なんならすごく辛いということも分かっていなかったかもしれない)、感覚が鈍りすぎていて、4月下旬なのに分厚いセーターとか着ていた。

 

嵐が通り過ぎるのを、ずぶ濡れになりながらただじっと耐えて、待って、やり過ごしていたような日々だった。感情が、心が、身体が動くようになっていったのは、あの劇を観てからだったと思う。

 

この後自分でちょっと自信をつけて、その直後に嵐が最後の大打撃を与えるけれど、1年後の私はなんとか復旧できるようになりましたよ。

 

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その人がその人であることだけが、人生でできることなんだと、これまでもいつも書いてきましたけれど、本気で思ったのです。

 

自分で自分を分かってあげられないと、結局それで自分を苦しめてしまうなと。何回自分のことを見失っているんだよ、と思います。

 

まあもちろん、いつも正しいものを選べなかったり間違える時もあるでしょうから、それならそこにいる時間はできるだけ短くする。自分をそこにいさせてやらない。

 

「自分が人生でできること」なんてまだ分からないけど。

 

だから少なくとも私は、仕事もバレエも辞める気ありませんよーー。って最近、自分に誓っているのです。

 

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朗読劇の主題歌だった諭吉佳作/menさんの「はなしかたのなか」もとっても良いです。坂元さんの物語の、一筋縄ではいかない、ジェットコースターが落ちる時みたいに胸をきゅんと掴んでくる感覚に似ているのです。

 

open.spotify.com

 

わたしの20年間

 

外に出てみたら、分かることってある。

 

「いつもの」は心地いいけれど、もしかしたら、今の自分に合うのは他のものかもしれない。新しい選択をしてやっぱり違うなと感じたなら、なおさら普段の良さを感じるだけでいい。

 

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今までなぜそう思わなかったのか分からないけれど、ふと「環境を変えてみるのは楽しそう」と思った。最近オープンしたバレエスタジオがあったので、体験だったら参加できる。

 

正直、ずっと同じスタジオに通っていてコンクールなども出ていないので、自分のレベル感が分からない。経験者のクラスを選ぶとき、目安で「バレエ歴○年以上」などと書かれているのだが、当てにならないなと思った。事前に見学ができる訳でもないし。

 

本格的なクラシックバレエは多くの経験はないし、レベルが優しい分には問題ないかと思って(「基礎をじっくりやる」モードに切り替えればいいから)、予約してみた。結果的に、普段のレッスンと内容は大きくは変わらなかった。

 

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実は、私は自分とバレエの関係にそこまで自信を持てていない。長く続けているとはいえ、それだけだ、とも言える。

 

お金をもらう公演にそんなに出ている訳でもない。他者から見たら「ただの趣味」以外の何でもないだろう。「自分のことを好きではない」性格もあり、バレエを続けてきた自分を120%褒め称えることは私にはできない。

 

でも、いつもと違う環境で、いつもと違う人たちと踊って見えてくるものもある。

 

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伊達じゃなかった、自分の20年間は。

 

環境を変えたとしても、いつもの踊りができる。通用する。

 

振付に必死にならずに、見ている人のことを考えられる。身体を動かして、明るくなった心を舞台を見ている人にどう伝えようかと模索できる。自分だけでなく、観る人がいるから踊りは成り立つのだ。

 

もちろん、もっと振りを覚えるのが早ければいいのにとか、こんなに体が固くてどうするつもりなんだとか、反省も沢山ある。

 

でも、どこでだって踊れる。

 

私生活や仕事だけでなく、踊れる自分にまた救われた。

 

どこにいても、大丈夫だ。

 

 

 

<今日もプリエから 18>でした。

 

▼前回の「今日もプリエから」

20年以上続けてきたバレエのお稽古について、日記を綴ることにしました(エッセイスト・森下典子さんの『好日日記』に憧れて)。バレエについて書くことは、人生について書くこと。

 

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わたしたちはオオカミ

 

幅允孝さんが出演されていたテレビ「理想本箱」(理想的本箱)で紹介されていたし、サッカーも本も好きなので、読んでみた。

 

www.umitotsuki.co.jp

 

アビー・ワンバック著『わたしはオオカミ』。

 

なでしこジャパンがW杯で初優勝した2011年。そこで見た、アビーという選手を記憶している人も多いはず。

 

女子サッカー界の レジェンド
アビー・ワンバックから、あなたへ

 

アビーが呼びかける「オオカミの群れ」はサッカーのチームメイトから、全世界の女性へと広がった。アビーからのメッセージが、一冊となって届く。

 

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新学期が始まって、私も新しい生活に。4月になると、ただ数字が変わっただけなのに多くのものが新しくなったように感じる。

 

スタジオも、いつもと同じようで、でも少し新しい。

 

社会人になって、土曜クラスに参加するようになった後輩もいる。しばらく休会していて、またお稽古を再開し始めた先輩もいる。自分の子供が小学校に入るなど、家族の状況が変わった人もいる。

 

でも、少し新しいスタジオになっても、中身は実は同じで変わらない。

 

私たちがやることは、ただ自分と向き合い、身体を動かし、仲間の踊りを見て、失敗したらちょっと笑って、やり直して、沢山汗をかいて、ちょっとスッキリして帰ること。

 

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アビーの本から読み取れたのは、「自信」と「連帯」は女性にだってあって良いはずなのだということ。

 

生活の多くが変わったとしても、私たちには還る場所がある。明言はしないし、べっとりした関係ではないけれど、ゆるく繋がれる仲間だとは思う。

 

当たり前にバレエ用語を言われたら同じ動きができる。プライベートのことは多くは話さなくても、バレエに関してはなんとなく分かり合っている。あまりにも自然で、その自然さが心地いい。

 

ここに通い続けられること、踊り続けられること。わたしたちの中にある「矜持」になっているのだなと思う。

 

わたしたちもオオカミなのだ。

 

「矜持」については思うことが沢山あるので、また次回などに書こう。

 

 

 

<今日もプリエから 17>でした。

 

▼前回の「今日もプリエから」

20年以上続けてきたバレエのお稽古について、毎週日記を綴ることにしました(エッセイスト・森下典子さんの『好日日記』に憧れて)。バレエについて書くことは、人生について書くこと。

 

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グラデーション

 

今年のテーマは「グラデーション」と決めている。

 

近年で言えば特に性やジェンダーに対して、この言葉を用いて考えられることが多くなった。対して、私はあらゆる「選択肢」について、この言葉を当てていきたいと思っている。対語を探すならば「白/黒」「決めつけ」などになる。

 

何かを決める時、次にどうしようかと動くとき。選択肢は0%か100%の二択ではない。

 

だが“まだ物事が見えてない”段階だと、選択がその二つにどうしてもなりやすいのだと思う。選考を受ける/受けない。辞める/辞めない。やる/やらない。

 

だが、0%か100%の間で無数の選択ができ、「どちらともいえない」状態だってある。

 

例えば、「文章を書くことで生きていきたい」のだとしたら。選択肢は、会社や自分で文章を書く仕事をする/やらない・諦めるの二つ、だけな訳がない。

 

もっと細分化していく。生計をそれだけで立てなくても良いわけだし、他の仕事をしながら書けばいいかもしれない。定期的に文章を書く環境を整える、のが先かもしれない。実際に文章の仕事をしている人の話を聞きながら学ぶ、ということもある。

 

ざっくりと選択肢が分かったら、行動レベルに置き換える。複数の仕事を抱えながらできる求人を探すのか、文章が書きやすくなるデバイスを買ってみるのか、執筆が捗りやすいカフェの座席を探すのか、読みたい本を見つけるのか。

 

そうすることが、私にとっての「グラデーション」。

 

「状況をすぐに変えた」「即結果が出た」ものばかりが大きな声で謳われるが、その間にある無数の時間を、自分の中だけでも捉えて無いものにしないこと。

 

時間をかけることを厭わない。今すぐに大きく状況を変えようとしない。最短ルートで答え(だと思えるもの)に辿り着けなくたっていい。

 

自分ができる「グラデーション」を選んでいくのが、今の私に必要なのだと思う。

 

 

春のかおりと心持ち

 

職場の人と、「週末はあったかくなるんですかねぇ」なんて話していた先週。

 

土曜日は本当に、「あったかいな」と肌で感じられる陽気になった。

 

バレエスタジオは窓が大きくて、天井が高くて、スペースも広くて。お稽古の時間には明るい光がたくさん差し込んでくる。

 

小学生の頃はお昼のお稽古が、今は土曜日の午前中のお稽古がたまらなく好きなのだ。心が明るく解放されて、身体には新しい空気を取り込んで、気持ちが良い。

 

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朝から晴れやかな気分だったので、明るい色の服を着たくなる。

 

去年の発表会の時、スタジオのロゴが入ったオリジナルのTシャツがもらえたのだが、今回は「明るいライムグリーン」のような色。

 

けっこう着るのに勇気が要る色なので、普段お稽古で着る人は少ないのだけれど(笑)、なんとなく持っていったら、その日はIさんも同じものを着ていた。

 

「お揃いですね〜」「たまには着ようかな〜ってなりますねぇ」なんてお稽古場のみんなで話しながら、心もほぐれてくるのを感じる。

 

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この、何にも特別じゃない、本当ならどうってことの無いような“日常”がすごく幸せだなーと感じながら、一年前の自分を思い出す。

 

例えるなら、「凍っていた」と思う。

 

今のこともどうにもならなくて、もがき方も分からなくて、未来も何も見えなかった。

 

今なら分かるけれど、どん底とか、辛くて耐えきれないような時間は永遠には続かない。し、自分をそんな暗い場所に長い間居させてやらない。

 

すぐに季節は切り替わらないけど、確実に次の季節が訪れるように、自分の状況はだんだんと変わり、いつかマシになる時がやってくる。

 

すぐに自分を変えようとしないで、ゆっくりと。

 

 

<今日もプリエから 16>でした。

 

▼前回の「今日もプリエから」

20年以上続けてきたバレエのお稽古について、毎週日記を綴ることにしました(エッセイスト・森下典子さんの『好日日記』に憧れて)。バレエについて書くことは、人生について書くこと。

 

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