ちゃちゃののほほんらいふ

ちゃちゃののほほんらいふ

2022年。25歳にして、スタートライン。

もし、多くの人が意志を持った人生を0歳からスタートさせられるのだとしたら、私のそれは25歳から始まったのかもしれない……。

 

とさえ思えるほど、多くのことを変えていけた、変えていいと自分をやっと許可できた1年だった気がする。

 

今まで意志決定をどうやっていたのだろう、とさえ思える。近くで生活している人とか、置かれた環境によって自分の意志を作ってきてしまったのだなーと。

 

そうやって作られた思考のクセはなかなか消えないだろうけど、「自分で決める」を繰り返していくしかないのだ。

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具体的には、仕事内容うんぬんよりも(それがいいことなのかは分からないうえに、人にもよるが)、立地が大好きな場所の職場に通い始めることができた。

 

その上、ひとり好きな人が多く集まっていて、全体的に「苦」な要素が少ない。

 

あとは入社日に「あ、この街に住めたら理想だな」と思いついたエリアに引っ越しをした。

 

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生活が変わったのに大きな決断をしたという実感は何もなく、ただ必要にせまられてそうなった、という感じに近い。

 

スタンプラリーみたいな観光も嫌いだし、人生を「ハンコ押す並に何かを叶えていくミッション」のように位置づけたくないけど。

 

これからも、やりたいことは沢山あるぞー。

守ってきたもの

 

お稽古場にある階段の上に登って、踊っている人を眺めるのが好きだ。まるでムササビのような視点で、ただ一緒に踊る仲間のことを、みんなのことを考えている。

 

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ここは、とある静かな街にもう40年くらいあるバレエ教室の、社会人クラス。私たちはプロでもないし、踊ることでお金をもらっているわけでもないけれど、気づいたら踊り続けて20年以上が平気で経っているみたいだ。

 

みんなに共通するのは、人生でいろいろなことがあって、他にやることも沢山あるけれど、「踊ることが好きで、その時間を守り抜いてきた」ことなのかもしれない。

 

 

Iちゃんは、忙しい機関で働いている。昔から思い描いてきた理想で、とてもカッコいい。でも、働き方の話を聞くだけで、私が倒れそうになるくらいだ。そんな中で、お稽古場に来るのはいつもギリギリだけれど、それでもちゃんと来る。遅れても、絶対にちゃんと来てくれる。多くは語らないけど、意志があって踊り続けているのが分かる。

 

Sさんはレッスンが終わると足早にスーツに着替えて、お稽古場を後にする。スラッとしてて、スタイルが良くて、スーツも相まって、まさに颯爽とした姿で。たまにある土曜出勤。大変だなーと思うけれど、ここでずっと踊り続けている彼女は、きっと小さな女の子から見ても、憧れそのもの。

 

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ここまでくると、「なんとなく」で踊り続けてきた人はいないのだろうなと思う。

 

辞めるタイミングはたくさんあったのだろうけれど、どこかで「それでも辞めない」「やっぱり踊りたい」と思って、バレエを守ってきたから。

 

すぐに分かりやすく結果が出るものばかりが目立つけれど、長く続けないと分からないものって、絶対にある。それがどれだけ、大変なことなのか。

 

 

 

<今日もプリエから 20>でした。

▼前回の「今日もプリエから」

b-85nhc.hatenablog.com

 

20年以上続けてきたバレエのお稽古について、日記を綴ることにしました(エッセイスト・森下典子さんの『好日日記』に憧れて)。バレエについて書くことは、人生について書くこと。

 

 

失敗タウン界の渋谷から帰還しております

 

全くもって神回だった、2022年8月15日(月)の『相談は踊る』。

 

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第1556回8/15(月)の放送(12:00~12:15頃)より。今回は、24歳の女性からの「プレッシャーを過剰に感じてしまうのをどうにかしたいです。先日、チームのサブリーダーに任命されました。ですが、不安や緊張から、お腹の具合が悪くなったり、なかなか寝付けられない日が続いています。どうすれば、プレッシャーに強くなれますか?」という相談。

 

 

「失敗が怖く無くなるためには、失敗をするしかない」という、なんとも逆説的だけれども、現実的にそうだよね、というお話です。

 

今の特に同世代って、「人生、失敗を一度でもすると即終わっちゃうんじゃないか!」くらいの感覚で生きていると思っていて。実際に、私もそう思っていたし。

 

他人より上にいけなかったら失敗、と先生たちに脅されてきたような気がする。親は、失敗しないようにこれでもかというくらい先回りしてくれている。周りがそうすることで、失敗へのプレッシャーはただただ増していって。

 

 

 

スーさん曰く、失敗は「失敗タウンに行っちゃった」くらいの程度で考えれば良い。人に迷惑をかけたくないし、恥ずかしいし、落ち込むのも分かるけど、実は結構みんな失敗タウン行ってるんだよーって。

 

失敗タウンの良いところは、定住しないところ。行ったら必ず帰って来れるところ。一度行けば、「ここ左に曲がったら失敗タウン着いちゃうかも」って、慣れたら避けられるようになるかもしれないところ。

 

 

 

私も、渋谷レベルの大都市サイズの「失敗タウン」に行って、「もう一生抜け出せないんじゃないか」って生きることに絶望していたけれど(仕事の中のミス、というよりは、さまざまな選択のお話、というかんじ)。やっぱり渋谷には定住しなかったですし、今ちゃんと元気に生きている。

 

それに、同世代であのサイズの失敗タウンに行ったことある人ってあんまりいないと思うから、むしろ良い財産というか……。帰還したから言える話ではあるんですけど。笑

 

だから、タウン行っても帰って来れるし。たぶんまた行くだろうってことも分かるから、失敗タウンにいる人を責めたりなんて絶対にしない。

 

 

 

それに、失敗タウンで小笠原さんとスーさんに会えたりするのなら、それはそれは嬉しいと思うのだ。

 

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涙に滅ぼされちゃいけニャイ!

 

 

 

探している人に出会う

 

必要じゃないことは、起こらない。その時出会うべき人と出会う。

 

自分で人生を設計できるとはあまり思っていなくて。どこか大きな流れの中に自分は居て、その大きな力が設計をしてくれているような気がしている。

 

生きていくうえで自分の力でコントロールできることは意外と少ない、とさえ思っている。

 

私があまり抗わない理由は、それだ。

 

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びわ」がよく読まれている記事なのだけれど、ちなみにこの「びわ」の恋愛はもう終わってしまっている。

 

b-85nhc.hatenablog.com

 

あの時、神様に「あなたたちは一緒にいなさい」と言われているくらいに、よく彼に出会った。

 

約束もしていないのに駅のホームで会ったり。結局片手で数えられるくらいしか出社なんてしなかったのに、その日に限って彼がオフィスにある自販機にコーヒーを買いに来たり。

 

そもそも私が自己紹介にあの1フレーズを書かなかったら、彼は連絡をくれなかったし、出会うことも、別れることもなかったのだから。

 

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終わり方も「びわ」のように自然だった。すごく特別な恋愛だと錯覚していたけれど、終わってみればただ一つの失恋にすぎない。

 

ただ傷ついたし傷つけられたけど、紛れもなく私の道を示してくれた人だと思う。

 

「あなたはこっちじゃないよ」と教えてくれて、依存している沢山のものを振り切って、ちゃんと自分で決める人生にしなさい、と言ってくれた気がする。

 

 

最近読んだ、吉本ばななハチ公の最後の恋人』に、小沢健二の『ある光』と同じ言葉が出てきて、そうそう同じことを感じているよ、となった次第です。

 

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この呪いをどうやって解こうか

 

「生きるの下手だよね」と昔の恋人に言われたことがある。

 

うん、今なら、なんてひどい話と思える。もちろん彼なりにいろんな期待があって言ってくれたのかもしれない。でも、たとえ思っていても言うべき言葉ではないし、ましてや一番近くにいる恋人という立場だったのだから……。

 

そりゃあ、あの時の私は何もできていなかったけれど。

 

「この人の隣にいる人は、上手に生きれないといけないんだ」とずっと思ってきたなあ。たぶん上手に生きれる子だったら簡単なのだろうけれど、どうやら私は違うようだ。

 

そうやって他人に言われた言葉で、そっくりそのまま自分を呪ってしまうことは誰にでもあるはずだ。

 

 

 

今週の相談コーナー、毎日聞いてると各日に繋がりがあって、救われた。

 

▶️#相談は踊る 27歳女性「あり余っている体力を自分のためにしか使うことができず、もどかしさを感じています。時々、私のような人間が生きている意味はあるのか考えてしまいます」(※)

http://ジェーン・スー 生活は踊る | TBSラジオ | 2022/08/02/火 11:00-13:00 https://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20220802120028

 

スーさんの「俳優なんかやる人が、上手く生きようとしないでよ!」にグァンと来ましたね。

 

表現活動をしている人や魅せる側の人にある葛藤、ドラマ。私は舞台の上にいることを辞めたくない(というか辞められない)から、「効率よく生きる」みたいな世の中で大きな声で叫ばれるやり方に、無理してついて行こうとしなくていいのかな。

 

やっと、そうやって思えた。

 

 

▶️#相談は踊る 女性「20代後半の息子が大学を卒業して就職したものの3年で退職。一人暮らしから実家に戻って、現在は 契約社員で働いているものの…息子のこれからが心配です」(※)

http://ジェーン・スー 生活は踊る | TBSラジオ | 2022/08/04/木 11:00-13:00 https://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20220804120000

 

「芽が出る」とか「成功する」って、勝手に他者が定義づけしたこと。その人が選んだ生き方を、他人がジャッジするのは見当違いだよね、という話。

 

 

 

言われた言葉で、自分を縄で括って苦しんでしまっている時。それを解いてくれるのも、他人の言葉なのだよな〜。

 

 

(※ 相談の紹介は、公式Twitterより引用)

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揚げギョウザ越しに川を思う

 

「幸せは、それを求めていない時にさりげなく訪れる」。

 

私の場合は、社食の揚げギョウザを食べながら、窓から見える川をぼーっと眺めていた時だった。

 

(若いんだから友達とユニバ行った時、とか言えばいいのにw それができないんだ。)

 

それもその時に感じたわけでなく、夜寝る前に今日のことを思い出して、「あぁあの瞬間は幸せだったのだな」と思い出す感じ。幸せって、当たり前にあるどうでもいい瞬間すぎて、本来なら素通りしてしまうものなのだろう。

 

 

 

揚げギョウザの味は別に普通だし(社食だからね)、何がそんなに幸せだったのかというと、川を眺められているところである。その川といえば、近くに住んでいたおばあちゃんのことを思い出す。

 

おばあちゃんのいたこの街。川の向こうとこちらの街を、父親が連れ回してくれた。散歩したり、ご飯食べたり、買い物したり。賑わってはいるのに、自然の余白やのんびりした感じがあって、ここで過ごす時間が好きだった。

 

おばあちゃんがいなくなってから、ここ10年くらいは数えるくらいしか訪れていなかった。

 

「いつかこのエリアに住んでみたい」と思っていて、彼氏に話してみたこともあったけれど、私が凍っているみたいに何もできない時だったから、内心馬鹿にされていたかもしれないな(笑)。「何十年後の夢かな〜」くらいに思っていたところ、たまたま、春からこの近くで働くようになった。

 

 

 

もしおばあちゃんが今もいてくれていたら、週に何回おばあちゃんの家に帰っているか分からない。社会人がそんなことしてたら迷惑極まりないだろうけど(笑)、どっしり座って、笑顔であの家で出迎えてくれる気がする。

 

なんといっても、私の第二の故郷。おばあちゃんのいるこの街。帰ってきた感覚なのだ。

 

今の自分の感性で楽しんでみたいな。

 

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タイム・ヒールス…

 

毎夏、ダンスの公演を観に行っていたホールが今年で閉まるらしい。

 

記憶を思い出せるくらいの年齢、おそらく10歳前後から毎年必ず通っていた。

 

公演の前に、近くのファミレスでご飯を食べるのが楽しみだった。昔は親も一緒に行っていたけど、友達とだけで行くようになって。最近は、近くのカフェに一人でひっそり寄るのが好みだった。 

 

今年は自分で近くに泊まりたいホテルをとって、次の日、朝仕事に行く前にのんびりして。

 

同じことを繰り返しているようで、過ごし方が変わっている。時間が経つと変わるものは必ずある。

 

 

 

 

あれだけ会いたいと思っていた人に、会えなくなったり。

 

昔の私から見てみれば、あんまり想像していなかった仕事をしていたり。

 

考え方も、特に2年前くらいとは全くもって違うものになっていると思う。

 

 

 

どうやら私は、先のことはある程度は想像するけれど、計画をキツキツに決めてその通りに動くが苦手らしい。

 

たくさん間違えてきたし、器用に生きられない。それで人に馬鹿にされたこともあったし、たくさん自分を責めた。

 

でも、その分軌道修正力がついた。今、人生を振り返ってみたら、ずいぶん遠くまで来てしまったなと思う。

 

まったく想像していなかった、違う場所に。気づいたら、「こんなところにいたんだ」って。

 

 

 

 

 

 

時間は、確実に何かを変えていく。

 

最近はどうしても周りの老いが分かることもあって、時間の重みに飲み込まれそうになる。ときどき喰らってしまうほどに。その時に、自分も歳を積み重ねたのだなとやっと気づく。

 

 

 

芽生えることと朽ちること。

 

生まれ、育ち、死にゆくことが輝きなのだと(うろ覚えだけど)、小沢健二も言っていた。

 

 

 

ものごとは、起きた瞬間から過去になる。

 

だから、変わることを厭わないで。ただただ、今をやり過ごすしか方法はないのだと。

 

ジェーン・スーさまのタイム・ヒールス・エブリシング!を聞いて思うことなど)