ちゃちゃののほほんらいふ

ちゃちゃののほほんらいふ

世界の誰かが、同じ曲で踊っている

 

社会で起こっているとされる事象が、自分の目の前にも立ち込めていて、ぐっと迫ってくる。

 

学生の頃は、こんなところまで想像が及びもしなかったな。見えていなかったと思う。

 

自分が生活の中で感じることは、社会の中で、多くの人が同じような感覚で抱えている問題なのか。はたまた、少数(と思われる)人が悩んでいるのか。

 

この先に作られる社会のシステムやテクノロジーによって、緩和されていくのか。それとも、負担だと感じる人が増えていくばかりなのか。

 

 

気がかりなのは、同居人のことなのだ。

 

数ヶ月経てば良くなる。あと少しで自分の生活が変われば、楽にできると分かっている。

 

でも、その“今”を凌ぐのが難しい。

 

苛立ったり、辛かったり、そんな自分に悲しくなったり、責めたくなったり。本当はそんなことしたくないのに。塞ぎ込むような気持ちが続いた。

 

***

 

最近、バーレッスンで使う曲が変わった。

 

フォンデュ(両足の膝を曲げ、伸び上がる時に片足を伸ばす動き)の繰り返しで流れる音楽なのだけれど、「この曲といえば、あの人の踊りだ」と思えるのです。

 

アメリカン・ダンスアイドル シーズン5の Jeanine Masonによるソロ。

 

youtu.be

 

勝手に気持ちが立ち込めていて、孤独な気分になったりもしたけれど。この曲で楽しく踊っているのは、この世界で私だけではないはずで。

 

そんなことにまで想像を及ばせて身体を動かしていたら、自分を責めすぎる必要もない気がしました。

 

***

 

とか言いつつ、ちょっと生活が忙しくなったら、悩みなんてどうでも良くなり……。暇って、良くないですよね。

 

 

<今日もプリエから 15>でした。

 

▼前回の「今日もプリエから」

20年以上続けてきたバレエのお稽古について、毎週日記を綴ることにしました(エッセイスト・森下典子さんの『好日日記』に憧れて)。バレエについて書くことは、人生について書くこと。

 

b-85nhc.hatenablog.com

意識改革2022

 

2021年に意識していたこと。

 

1. とりあえず聞いてみる。

 

とにかく電話や、分からないこと、不明なことを人に聞くのも苦手だった。でも「聞いてみなきゃ分からない」ことがある。

 

相談事なら、他の方法があるかどうか、とか。どちらの方が都合が良いのか、とか。服を買うなら、合いそうな他のアイテムは何か、とか。どれだけ調べても分からないなら、聞いて話して考える。

 

時間がかかっても、手間がかかっても良いから。迷惑を掛けるのはまぁ良くないかもしれないけど、相手に敬意を持って、時間をいただいたことは忘れない。感謝を表せれば大丈夫。

 

2.完璧なものはない、完璧な人はいない。

 

楽しそうな人にも苦しい瞬間はある。悩みがなさそうな人にも、何かしら気がかりなことはある。

 

他者のもろもろを推し量ることは、ついやってしまうけれど(それで勝手にくよくよする)、人の全ての面が目に見えるわけなんてない。自分が他者のそういう部分を図ることって本当に意味がない。

 

3.誰かが“答え”をくれるわけではない。

 

相談をしていたら誰かが自動的に答えをくれる、と潜在的に期待していた気がする。

 

腹を据えて、ひとつのことを決断するのは自分だ。決断に責任を取ろうとするのが、大人だってこと。

 

4.“個人”としての自分も大切にする。

 

もちろん場面は選ぶべきだが、「家族がこうだから」「恋人がそう言うから」「クラスのみんながこうだから」という理由で思考していないだろうか。

 

例えば、家族は長年当たり前にJ-WAVEを聞いているけど、私が好きなのはTBSラジオだった。番組にもよるし。

 

意識せずとも、無意識化でナチュラルにこう思考していて、すごく厄介だと思った。いつもより決断に時間をかけてでも、一つずつ取り外していこう。

 

5.「普通」「通常」という言葉を日常から消してみる。

 

多少の傾向はあれど、万人にとって「普通」「通常」なことってあまりないように思う。些細な場面でもその言葉たちは使わずに、言い換えをする。

 

必要な言葉

 

学生の時、「彼氏ができるとなぜか先生にはバレている」と言った先輩がいた。

 

私もそうだった。私の場合は、彼氏と別れてスッキリした時に「何か変わった?」と声かけられることが多かったけれども。

 

なんでもお見通しなんじゃないかと思うくらいなのだ。

 

先生曰く、“踊りが変わる”らしい。でも、当の私たちは心境が変わった自覚はあっても「踊り」が変わった自覚はない。

 

『先生』という職業ならば、勉強を教えるだけで、バレエを教えるだけでも良いはずだ。生徒の人間性や成長までを見ていく義務はないかもしれない。

 

でも、先生は“踊り”を通して私たち生徒の人生を見てくれている。

 

そして、先生がかけてくれる言葉は「気づいていなかったこと」を教えてくれるものだ。その時々に、必要な言葉をくれる。

 

***

 

12月は職場の繁忙期で、とにかく効率よくテキパキ動くことを心がけていた。一息つく余裕なんてなかった。ただ時間に追われて、目の前の仕事に追われていた。

 

お休みの土曜日。

 

いつものようにバーの先頭についてプリエを始めた時、曲がいつもよりゆっくりに感じられた。意識的に、ゆっくりなリズムに自分の動きを合わせる。呼吸もゆっくりにしていく。

 

自分を取り巻く時間はこんなにもゆっくりしていたのか、と驚いた。

 

どれだけ自分が焦っていたのか、無駄なものを削ぎ落とそうとばかりしていたか、時間や重圧に追われて過ごしていたのか。身体が教えてくれた。

 

***

 

「バレエで心と身体を解放できますように」

 

新年、先生からの年賀状に書いてあった。

 

そう、今の自分にとってのバレエとは、心と身体が他の何でもなく、誰のものでもなく、「自分のもの」だと理解ができることなのだ。自分の思い通りに、心と身体を解放できること。

 

先生が、また私に必要な言葉をくれた。

 

そして先生は、いつも私のことを見ていてくれる。

 

 

 

<今日もプリエから 14>でした。

 

▼前回の「今日もプリエから」

20年以上続けてきたバレエのお稽古について、毎週日記を綴ることにしました(エッセイスト・森下典子さんの『好日日記』に憧れて)。バレエについて書くことは、人生について書くこと。

 

b-85nhc.hatenablog.com

 

誰にも頼まれていないけれど

 

2021年が終わり、2022年が始まりました。

 

年が変わることは特別ですが、日常は前年と地続き。気持ちを入れ替えられるところでは入れ替えながら、変わらずにコツコツ過ごしていくつもりです。

 

***

 

昨年の4月から書き始めた、バレエのお稽古の記録「今日もプリエから」(タイトルがあまり気に入っていない……笑)。

 

記録というよりは、お稽古での思考。また、そこから派生する人生への思索が中心になっている、ただの日記です。

 

あまりにも更新頻度が低いですが、毎週必ず自分の中に降り積もっていく時間なので、これをブログのテーマとして、ノコノコと続けていくつもりです。

 

短く・分かりやすい情報が好んで求められる世の中で、ブログくらいは長めの文章を書いていたいな〜と思っています。細やかな抵抗。

 

***

 

昨年の発表会で、プログラムの自分の名前の下に「バレエ歴 21年」の数字が現れた時。

 

学生じゃなくなって、自分についてまわる責任と自由を感じながらも、日常の中で“ダンサーでいられる”時間があるのを、噛み締めたいと思いました。

 

ダンス歴20年目は、過ごしてきた時間を忘れないようにしたいし、自分なりの言葉で言い表せる人でありたい。それでバレエとの新しい関わり方も見つけていけるんじゃないか、と思っています。

 

 

<今日もプリエから 13>でした。

 

 

 

▼前回の「今日もプリエから

20年以上続けてきたバレエのお稽古について、毎週日記を綴ることにしました(エッセイスト・森下典子さんの『好日日記』に憧れて)。バレエについて書くことは、人生について書くこと。

 

b-85nhc.hatenablog.com

頑張るのでなく、「期待をかける」

<今日もプリエから 12>

 

実は、「頑張る」は私にとって苦手な言葉の一つである。

 

高校生の頃、担任の先生に「授業中のあなたは必死過ぎて怖いよ」と言われた。フランクな間柄だったからストレートに言えたことなのだが、夢中になると止まらない性格は外から見ても分かるのだろう。続けて、「だから、頑張ろうとしなくていいよ」とも言われた。

 

教習所に通っていた頃、教官の方に「あなた、頑張らなくても勉強とかできたタイプでしょ」と言われた。器用ではないから、“なんでもできる”わけではない。でも勉強は好きだった。数少ない、頑張らずに自然とできることだったのだと思う。

 

はじめて勤めた会社では、仕事を「頑張らないと」ままならなかった。“答えがない”仕事内容も、競争的な社風も、それに基づく評価制度も。仕事は頑張って結果を出すものだとは思うけれど、すごく緊張して、縮こまっていた日々だったと今では振り返れる。

 

そんな諸々があって、「頑張る」という言葉とは距離を置くようになっていた。でも、ギュッと力を入れて無理をすることから遠ざかった分、どこかで自分に天井を作っていた気もする。

 

***

 

「頑張る」へのイメージを少しだけ軽くしてくれたのは、数年ぶりに受けたS先生のレッスンだった。

 

S先生は、バレエを始めた2歳の頃から私を知ってくれている。主にクラシックバレエ担当のパワフルな先生で、話すだけでそのエネルギーに圧倒されそうになる。

 

クラシック出身だから、なおさら基本に忠実なお稽古。「遠慮しないで、もう少し脚開いて、脚上げていいんだよ!」と注意してくださる。本当は全く遠慮なんてしていなくて、「もう限界…!」と思ってやっているのだけれど(笑)持ち前の明るさで伝えてくれるから、全く嫌味な感じはしない。

 

 

バレエ歴20年を超えた大の大人たちに向かって、先生は言う。

 

「大人だから、もうこれくらいでいいや、私にはできないし、って思ってるでしょ? でも、長く続けるためにいちばん大切なことなんだよ」

 

そうか、「頑張る」って、他人に認められるためにやらなくていいのか。無理やり力を入れるのではなくて、少しだけ自分に期待をかけてみることなんだ。評価されるためじゃなく、もっと上手に踊れる自分を、自分で諦めないように。

 

達成できなかったとしても、それは少しだけのエラーだと思えばいい。また、できる範囲で自分の身体と向き合えばいいから。

 

 

 

 

次の週から、少しだけ少しだけ、自分の身体のキャパを広げてみている。これは私だけでなくて、お稽古場にいる皆がそうしている気がした。

 

 

▼前回の「今日もプリエから

20年以上続けてきたバレエのお稽古について、毎週日記を綴ることにしました(エッセイスト・森下典子さんの『好日日記』に憧れて)。バレエについて書くことは、人生について書くこと。

b-85nhc.hatenablog.com

 

 

親の次の「盾」を探してる

 

10月6日(水)のTBSラジオ「生活は踊る」。お悩み相談コーナーの『相談は踊る』が、ただただ神回だった。

 

ジェーン・スー 生活は踊る お悩み解消コーナー「相談は踊る」 https://nhsw9.app.goo.gl/JdJx #ラジオクラウド #TBSラジオ

 

26歳・女性からの相談。

「1歳年上の彼氏に、将来についてどう考えているのか、聞いてみたところ、『あなたのことが好きだし、一緒にいたいけど、あなたの両親と関わりたくない』と言われました」

 

ジェーン・スーさんはここでの認識の掛け違いを“コムデギャルソン”と例え(笑)、……その「言い表し力」にも大関心なのだけれど、回答の鋭さです。

 

 

この回答が「何言ってんのか全く分からない」派と「昔のこと思い出して、苦しいほど理解できる」派に二分されると。私はここ最近で結構痛い目を見ているので(笑)、数年かけて「分かるー」ってなれる気がします。

 

どこかで、“誰かが私のことを幸せにしてくれる” “守ってくれる”と思っている節はないだろうか。

 

なんで自分はこのままで、自動的に相手ばかりが自分を幸せにするために動いてくれると思っていたのだろうか。

 

そして、自分はなぜ「相手を守る」ことができなかったのだろうか。何よりも好きだったのはその「相手」じゃなかったのか。

 

 

自立って、酸いも甘いも噛み分けて、結局自分のことは自分で幸せにしていくぞと腹を括ることかもしれない。

 

大人になったら、幸せは誰かが運んできてくれるものじゃありません。全力で自分のこと、大切な人のことは幸せにしにいかなくちゃいけないんです。。

 

 

それにしても、痛い目見るのも悪くないな。私は一日にして成らず、本当に。(これもジェーン・スーさんのお言葉です)

 

ひとりの女性として生きること

 

▶︎ 今日もプリエから 11 ◀︎

 

私のバレエスタジオには、いわば“レジェンド”的なダンサーたちがいる。30歳くらいの女性たちで、幼い頃からみんなで一緒にお稽古を続ける仲間。

 

どこが“レジェンド”なのかというと、もちろん踊りのテクニックは申し分なくて、可愛くて、美しくて……。

 

でも、それだけではない。何よりユーモアがあって、踊りに「自分たちを投げ出す」のがすごく上手なのだ。

 

踊りの中で彼女たち同士が目を合わせて、気持ちをぶつけ合ったり、会話をしているみたいだったりもする。それを見て、こちらも笑いたくなってしまうような。

 

コンクールで入賞して技術があって、上品で綺麗に踊るダンサーはお教室にもたくさん出てきた。でも、“踊る喜び”をここまでパワフルに舞台の上で表現できる人たちは、そう多くはないと思う。

 

彼女たちが舞台の上に集まるのを見ていると、心と身体はまずは自分のためにあって、私たちはそれを自由に解き放てるのだと思わせてくれる。

 

「上手に踊ろう」と考えることはもちろん大切。だけど、恥ずかしさやプライドをなくして、縮こまらずに表現ができるダンサーはどれくらいいるかな。

 

◆ ◆ ◆

 

youtu.be

 

毎日が同じことの繰り返しに思えたり、人と人との意見に挟まれて振り回されたり、ワガママな人に対応したり。仕事をしながら踊り続ける彼女たちにとって、もしそれが“日常”なのだとしたら。

 

思うままに身体を動かせるダンスの時間はポジティブな意味での“夢”であると思う。

 

週に1度だけでも、自分が自分らしくいられる“夢”の時間があることは、どれだけ私たちを支えてくれるんだろうか。

 

◆ ◆ ◆

 

社会人クラスに、また新しいメンバーが加わりました。今年で3人目。いろんな人が集まってきて、嬉しいなぁ。

 

 

 

▼前回の「今日もプリエから

20年以上続けてきたバレエのお稽古について、毎週日記を綴ることにしました(エッセイスト・森下典子さんの『好日日記』に憧れて)。バレエについて書くことは、人生について書くこと。

b-85nhc.hatenablog.com