世界の誰かが、同じ曲で踊っている
社会で起こっているとされる事象が、自分の目の前にも立ち込めていて、ぐっと迫ってくる。
学生の頃は、こんなところまで想像が及びもしなかったな。見えていなかったと思う。
自分が生活の中で感じることは、社会の中で、多くの人が同じような感覚で抱えている問題なのか。はたまた、少数(と思われる)人が悩んでいるのか。
この先に作られる社会のシステムやテクノロジーによって、緩和されていくのか。それとも、負担だと感じる人が増えていくばかりなのか。
…
気がかりなのは、同居人のことなのだ。
数ヶ月経てば良くなる。あと少しで自分の生活が変われば、楽にできると分かっている。
でも、その“今”を凌ぐのが難しい。
苛立ったり、辛かったり、そんな自分に悲しくなったり、責めたくなったり。本当はそんなことしたくないのに。塞ぎ込むような気持ちが続いた。
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最近、バーレッスンで使う曲が変わった。
フォンデュ(両足の膝を曲げ、伸び上がる時に片足を伸ばす動き)の繰り返しで流れる音楽なのだけれど、「この曲といえば、あの人の踊りだ」と思えるのです。
アメリカン・ダンスアイドル シーズン5の
勝手に気持ちが立ち込めていて、孤独な気分になったりもしたけれど。この曲で楽しく踊っているのは、この世界で私だけではないはずで。
そんなことにまで想像を及ばせて身体を動かしていたら、自分を責めすぎる必要もない気がしました。
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とか言いつつ、ちょっと生活が忙しくなったら、悩みなんてどうでも良くなり……。暇って、良くないですよね。
<今日もプリエから 15>でした。
▼前回の「今日もプリエから」
20年以上続けてきたバレエのお稽古について、毎週日記を綴ることにしました(エッセイスト・森下典子さんの『好日日記』に憧れて)。バレエについて書くことは、人生について書くこと。