“ファストであること”の代償
起きたらもう朝ごはん中。妻が忙しそうに「おかずあるから適当にとって」と言うので、面倒なのでお茶碗におかずを全部のせてどんぶりに。それを見た妻が「えっなにそれ、ノラ猫の残飯みたいやん。あんたは食べたら一緒でも、ビジュアル的に悪影響やわ。所作も含めて食事なのよ。ただの燃料補給ちゃう」
— 妻のパンチライン (@wifeisking) 2021年10月7日
自分で作った味気ないホットサンドとか、マックとか、「時間もないし量もそんなに食べないし」と思ってとりあえずお皿に全部盛った夜ご飯とか。そんな風にそんなものばかり食べていたら、冗談抜きで心が枯れてきた。
高くて良いものを常に食べていたい、というわけではないけれど。食の時間を「1日に3度ある幸せ」と位置付けているので、今の食習慣があまり良くないなーとは実感している。
リモートな習慣もあって、食べる環境も変わらないし、新鮮味もなくなる。好きな人と楽しく喋りながら食事をする機会も、今はないし。
あらためて、食べることはただの燃料補給ではないのだなー、と。見ることも食べることの一種。安い・速いの代償は、食べる目が育たないことにもあるはず。
食べるのが楽しくなる、器が欲しい。「もっとこうしたら美味しくなるかもなー」って考えるのが好きだから、本当はもっとキッチンに立ちたい。作れる料理ももっと増やしたい。
とりあえず、自分が食いしん坊であることはよく分かった。たくさんは食べないけどねー。